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【萌芽大輪篇】 第四話
大鴉 (レイヴン)

拍手

  チュルスの郡都レノアの北西に広がる鬱蒼(うっそう)としたその森は樹齢500年を超す大木が林立する鎮守(ちんじゅ)の森だった。ご多分に()れず、こうした森の近くには“神隠し”伝説がつきものだ。

 ある者は生きたまま肉を巨大な土蜘蛛(くも)に貪られる子供を見たといい、またある者は一つ目の(オーク)から命からがら逃げてきたと自分の俊足を誇ったが、そのどれもが正鵠(せいこく)を射ていない(※ 核心を付いていない)。目を離したほんの一瞬のうちに隣にいたはずの人間が忽然(こつぜん)と消える“神隠し”の正体、それは足を取られるまでそれとはまったく気がつくことが出来ない“沼”だった。大人の(てのひら)よりも大きい濡れた落ち葉が折り重なっているため、沼に()まっても水飛沫(みずしぶき)が上がることもなければそれらが跳ねる音もしない。時には顔に纏わり付いた落ち葉が慌てもがく人間から叫び声をも容易に奪った。

 こうした沼の多くは、近くを流れるエルミ河の支流が河道の変化によって一部が取り残されることで出来る()(せき)()から生まれたものだった。三日月形をとることが多いこの湖は長い年月を経て木々に周囲を覆われ、やがて土砂や倒木によって徐々に分断されて無数の沼となり、更にその上に落ち葉が降り積もって巧みに自然の擬態(ぎたい)をつくることで出来上がる。

 伝説の始まりは、親に叱られるのを恐れるあまり小さい弟妹を見失った子供が苦し紛れについた他愛(たあい)のない嘘の類だったのかもしれないが、今となっては確かめる術もない。それがやがて長い年月の積み重ねを経て寓話性に富むようになり、今日の我々のお伽話の世界に(いろど)りを与えている。街道沿いに点在するそんな民族伝承の蒐集(しゅうしゅう)に生涯を捧げることになるガルネ兄弟がこのチュルスを訪れるのは、ガルマニア国軍騎兵中佐フランツ・ヴィ・ミッテルシュヴァイツ率いるチュルス大隊が森を包囲している今より数えて、更に150年も後のことである。
 

言葉には力が宿る…… それは文字となってもやはり同じ様に人間を支配する……
“魔法”を(つづ)る聖なる文字は“呪文(スペル)”を織り成し…… 
やがてそれは七度世界を焼き滅ぼした後、“古の言葉”と呼ばれるようになった……
伝承上の闇の番人はその大いなる力が目覚める時に(よみがえ)ると言われ、
人々から忌み嫌われる“大鴉(レイヴン)”はその化身とされていた……
 
 
第四話 大鴉(レイヴン)

 
「眼帯の金髪小僧がいたぞ! こっちだ! やつを捕らえた者は金5ギース(※ 1ギース金貨1枚 = 銀貨50バル = 銅貨5000ベルス = 約5万円の設定)だぞ!」

「ヒャッハー!!」

 後ろから追いかけてくる声を聞いたフェイトはため息を一つ付くと、ガウバールを肩に担いで隣を走っているアーロンに白い目を向ける。

「おい…… お前のせいでもう5ギースの賞金首になってるんだが……」

「はあ? 5ギースえ? んだよ…… まだ可愛いもんじゃねえかよ…… 世の中には“時価”ってやつもいるんだぞ?」

胸を張って答えるアーロンにフェイトは一瞬、呆気にとられる。

「あ、あのなっ! 賞金の額の問題じゃない!銅1枚だろうが金100枚だろうが賞金首には変わりがないだろっ!」

「口を動かすよりも先に足を動かしたらどうだ。 逃げ足の早さは芸のうちだぜ?」

 アーロンは片目を瞑ると不敵に笑う。麦畑を通り抜けて水路脇のあぜ道を走るフェイトとアーロンの目前に、夏の闇に不気味に浮かび上がる真っ黒な森が迫っていた。風に乗って僅かに独特の臭気が運ばれてくる。アーロンが声を落とす。

「おい…… 気が付いているか?」

「ああ、マスケット持ちが4人…… 森の手前に潜んで待ち構えている……」

「やれやれだぜ…… ま、風上に陣取るマヌケで助かったぜ。 いきなり足でも撃たれたら堪ったもんじゃねえからな。 まだツキはあるらしいぜ。 それにしてもよ……」

今度はアーロンがフェイトに視線を向ける。

「な、なんだ…… その目は……」

「確かに“人食いの森”に飛び込むってのはいいアイデアだが、お前がこの親父を担がせるから鈍足の射手にまで追いつかれちまうんだぜ? この借りは高k……」

「無理やり担がせたのは悪かった。 だが、私もお前のせいで賞金首になったんだ。 これで貸し借りなしだ」

「は、はあっ!? ちょっ! おま! マジかよ! チャラにしろってのか! それとこれとは話が別だろうが!  ひょっとしてお前って常識がないの?」

アーロンの驚愕にフェイトが左手で額を押えていると衛士の一人が突然、麦の中から飛び出てきた。

「お前から常識うんぬんについて言われるとはな…… 邪魔だ! 怪我をしたくなかったらそこをどけ!」

フェイトは大地を蹴る。あっという間に距離を詰めると鞘のままで衛士の胴を一閃する。

「ぐはあっ!?」

「そこで寝るな。 農作業の邪魔になるだろ。 社会のマナーだぜ」

「おぼおっ!!」

腹を押えてしゃがみ込む衛士の横面をアーロンが蹴り飛ばすとその姿は再び青々と繁る天然の絨毯の中に消えていた。

「さてっと…… そろそろ射程に入るな。 腕のいい奴なら50トルム(※ 150メートル 。 1トルム = 3mの設定)離れた場所から騎兵が狙えるが、ガルフストールの野郎が仕立てた急造の撃ち手ならいいところ30(※ 90メートル)前後といったところか。 それとも、また畑の中に潜り込むかい? 少なくともいきなりズドンってことはなくなるぜ」

 アーロンが独り言のように呟く。
 この時代のマスケットはまだ銃身内にライフリングと呼ばれる螺旋(らせん)状の溝が付けられていないものがほとんどだった。それに伴って使用される銃弾も銃身との密着を避けるために銃砲の内径よりも小さくしなければならず、結果としてそれは火薬の燃焼による高圧ガスの損失が大きくなって射程距離の低下を引き起こしていた。また、狙撃精度を上げるために可能な限り長い銃身を設計する傾向があり、その重心バランスも決してよくなかったためじっくり狙いを定めることは難しく、その扱いには一定の錬度が要求されるのが実情だったのである。

とはいうものの…… 一歩、また一歩と距離を縮めるたびにそれは相手に利することになる。

ファイトは一瞬、目を閉じる。

土を蹴る蹄鉄(ていてつ)の音…… 駆け足の馬が…… 1、2…… 3…… 4騎…… それに…… (いなな)きを巧みに殺す手綱(たづな)(さば)き…… 相当の使い手だ……

幾ばくも考えている余裕はフェイトたちに残されていなかった。

「いや、いまさら遠回りも出来ない。 早く森の奥に入らないと今度は雑魚ではなく、後ろの騎兵を相手にしないといけなくなる。 ここは…… このままここは押し通るしかない」

「なに? 騎兵が4騎? そうか…… そいつは厄介だな…… 多分それは国軍だぜ。 あのどケチなガルフストールが貴重な馬をこんなところで使うわけがねえからな 」

 フェイトの言葉にアーロンは思わず後ろを振り返っていた。迫りつつある騎兵の存在にさすがに気が付いていなかったらしい。

「確かに松明が4つ、真っ直ぐこっちに向って来てやがる。 あの速さは人間の足じゃねえな。  どうする? お嬢さんよ」

 その刹那、フェイトは端整な横顔をしかめる。

この男…… やっぱり気が付いていたのか……

 正体がばれていることには薄々気が付いていたフェイトだったが、やはりその事実を突きつけられるのは不快だった。ガウバールが傷を負っていると早合点して咄嗟(とっさ)に地声を出てしまったことをずっと後悔しながら走っていたのだから尚更だ。

 フェイトは並んで走っている巨躯(きょく)を注意深く観察する。()(てら)った様子は見られない。むしろ、後ろに気を取られて思わず口を滑らせたという感じだった。それに、今までフェイトの扮装に気付いていない風を装っていたことを思えば、この男なりに気を遣っていたのかもしれない。

「まあ、森に入る前に追いつかれるって心配はねえが、森に入ればすぐにどうにかなるってわけでもねえしな。 やっぱ、姿を隠す適当な時間は欲しいところだぜ。 それを考えると待ち伏せしている野郎たちを手早く片付けねえと結構ギリだぜ。 いよいよ切羽詰ってきたって感じだな…… ま、幸いお前は旦那と違って腕が立つ。 二人でかかればどうにかなるんじゃねえの?」

 自分の意思ではないが半月も一緒にいた“狼殺し”よりも、今日の、しかもほんの少しの間に(えにし)を持った、自分の近くで伸びている金物屋とそれを乱暴に担いで走るこの大男のことは信用してもいいとフェイトは頭のどこかで考え始めていた。

「前から思っていたんだが…… あなたは随分と楽観的なんだな……」

「ん?」

 正面を見据えたままフェイトはアーロンに話かけていた。

「正直なところ…… 途中でガウバールさんを放り出されたらどうしようかと思っていた…… 私ではこの人を担げない……」

 そのままの声だった。アーロンは豆鉄砲を食らったように思わずフェイトの横顔を見返していたが、やがて、ふっと僅かに口元を綻ばせた。

「ま、危なくなりゃ、この親父をその辺に放り出す、なんて考えがなかったと言えば嘘になるが…… それはあくまで最後の手段だしな」

 一呼吸置くとアーロンも視線をフェイトから再び正面に戻す。

「それによ…… 人の一生ってのは長いようでいて実は短いもんだぜ。 だったら楽しんだ方が得だって、そうは思わねえか? 」

 短い沈黙の後、フェイトは視線だけをアーロンに向ける。

「そうか…… そうだな…… それを聞いて安心した」

人の一生は…… 旅のようなものだ…… 長いのか、あるいは短いのか…… 終わりがあるのか、それともそんなものは存在ないのか…… 分からない事を悩むより、今を生きるべきなのかもしれない……

 アーロンの足に合わせて走っていたフェイトが突然、単身で駆け出し始める。みるみる二人の距離は開いていく。

「お、おい!?」

 硝石(※ 黒色火薬のこと)の臭いがどんどん強くなる。瞬時にその意図をアーロンは悟る。

(おとり)になるつもりか!! もう奴らはすぐそこだってのに!! 下手に止めて相手に気取(けど)られちまったら全員、あの世行きじゃねえか!! 

「ちっ! 選択の余地なしってか…… 仕方ねえ! 分かったぜ! 親父のことは任せときな! 」

 もう破れかぶれだと言わんばかりのアーロンにフェイトは微笑んでいた。

「恩に着る!」

 森の入り口にフェイトが差し掛かった瞬間、麦畑に潜んでいた衛士たちが一斉に姿を現す。全ての銃口がフェイトに向けられていた。

「ちっ! えらく近くにいたもんだぜ…… おい!! 油断すんじゃねえぞ!! いくら風上に(もぐ)るマヌケでもこれだけ近いとヤバイぜ!!」

「言われるまでもない!! いまだ!! 行けえ!!」

「くそったれが!!」

 フェイトの後ろをアーロンは全速力で一気に駆け抜けていく。

「熊男は放っておけ!! 金髪だ!! 金髪の足を狙え!! 間違っても殺すな!! 賞金がパーだぞ!!」

 射手の後ろに立っていた衛士の一人が叫んだ。フェイトの左目に赤い炎が宿る。

心動かざれば万機(ばんき)、水鏡の如く…… 心頭滅却すれば、其れ(くう)を得たり…… 我が剣は姿なき疾風…… 万里を駆けたる迅雷…… 無銘剣…… 疾風迅雷……

「撃てえ!!」

 断続的な銃声が辺りに鳴り響く。

「疾風斬!!」

 フェイトの身体の近くで火花が三つ散った。森に戻っていた無数の野鳥が銃声に驚いて一斉に羽ばたき始める。森の中は蜂の巣を突いたような騒がしさだった。

「すまねえ、親父!! (しばら)くそこで寝むっててくれ!!」

 巨木の間に広がる暗闇の中に飛び込んだアーロンはすぐ近くの木の根元にガウバールの丸っこい身体を放り出すと、腰からナイフを抜いて再び来た道を戻り始める。

「くそっ!! あのバカ…… 世話が焼けるぜ!」

死ぬんじゃねえぞ……!!

 アーロンが森から抜け出たその時だった。マスケットに次の弾を込め始めている衛士たちの狼狽(ろうばい)しきった姿が目に飛び込んできた。

な、なんだ…… 確かに銃声がした筈だが…… 何がどうなってやがるんだ……

「ば、バカな!! 5トルム(※ 15メートル) と離れてなかったぞ…… こんな…… こんな近くで全員外すなんてことがあるのか!!」

 衛士たちは完全に浮き足立っていた。それとは全く対照的に冷めた表情で彼らを見つめているフェイトの姿があぜ道の上にあったが、しかし、次の瞬間、その姿は薄闇の中に音もなく消えていく。アーロンは驚いて何度も目を擦る。

な、なに……!? け、気配が…… い、いや…… 身体自体が消えやがった……!!

 アーロンは目を鋭くする。

体は空蝉の如く、か…… 太刀筋を見るまでもねえ…… こいつは紛れもなく、剣聖と呼ばれた伝説の男が創始したという“無銘剣”だ……

 五感を研ぎ澄ませていたアーロンは銘々が弾込めに夢中になっている衛士の列の後ろに視線を走らせる。突然、そこにフェイトが姿を現わす。後方で射手に指示を送っていた一人が腰を抜かさんばかりに驚き、悲鳴に近い声を上げる。

「ば、バカな!! や、やろう!! いつの間に後ろに回りこみやがった!!」

「うるさい…… 耳元で騒ぐな……」

土嚢(どのう)を殴るような鈍い音と共にその男はガックリと膝を落とす。他の3人は弾込めが終わったばかりの銃口を慌ててフェイトに向けるが、鋭い眼光をフェイトから浴びせられるとまるで金縛りにでも遭ったかの様にその場に釘付けにされる。

彼らを睨みつけたままフェイトは静かに口を開く。

「一つ教えておいてやる。 お前たちは的を外してなどいなかった。 ちゃんと狙い通りだった」

「な、なんだと…… て、てめえ! ふざけた事をいうな! 狙い通りならどうしててめえがピンピンしてやがんだ!」

「それを知ってどうするつもりだ? 狙いは外さなかった、それだけでお前達には十分な筈だ。 暫くの間…… 眠っていてもらうぞ!! 迅雷撃!! 」

 隼のようにフェイトは衛士たちの間を駆け抜けると、鉄製の砲身がまるで粘土細工のように次々と根元から真っ二つになっていく。

「ぐああ!!」

 気がつくと衛士たちが折り重なるようにしてその場に倒れていた。それらを一顧だにせず抜き身のサーベルをフェイトは鞘に収める。

な、なんて早業だ…… 正直…… 目で追えない動きがあったぜ……

 万が一に備えて投げナイフで衛士に狙いを定めていたアーロンだったが、その信じがたい光景の一部始終を目で追うしかなかった。

 ふうっと一息ついたフェイトは森の入り口に立っているアーロンの方に目を向ける。二人の視線がいきなりぶつかる。アーロンは自分の表情が固いことに気がついていたが、咄嗟(とっさ)に頭の中を整理するには余りにも事情は複雑すぎた。緩慢な動作でナイフを仕舞うアーロンにフェイトがゆっくりと近付いてくる。

「い…… あ……」

 声が出ない、いや、今の心情を適切に表現できる言葉を彼は見つけられなかった。

すっげーじゃん!おまえ! ……いや、軽すぎだろ…… だが…… てめえはいったい何者だ! ……いや……これじゃない感がぱねえ…… 

「なんだ、戻ってきていたのか?」

 最初に沈黙を破ったのはフェイトの方だった。

「よ、よお……! その…… なんだ…… 無事、みたいだな…… ははは……」

 考え抜いた割にはあまりに素っ気無かったが、今の彼にはこれが精一杯だった。フェイトは目を合わせようとしないアーロンの顔をじっと見ていた。

「し、しかし、不思議なこともあるもんだな。 射手は確か4人の筈だが…… 勘違いだったか……」

「…… いや、確かに4人いた。 もう一人は…… あそこにいる変なヤツが片付けてくれた」

「え? 変なヤツ?」

 フェイトが指差す方向をアーロンが見るとそこには肩まである長い銀髪の青年が立っていた。

「おーい! カクさーん! カクさんじゃないか! こっちこっち!」

 紛れもなくそれは街道で二手に分かれて郡司の追捕(ついぶ)を逃れることにした筈のラルスだった。ラルスは息せき切ってフェイトたちのもとに駆け寄ってくる。

「だ、旦那!? ど、どうして旦那が“人食いの森”の方に!? 駅馬車の群れに混じってレノアに入る筈だったのに……」 

「なんだ…… 知り合いだったのか?」

「ああ、何て説明したらいいのかな…… 俺の雇い主…… かな…… ははは……」

「雇い主……?」

 フェイトはアーロンを見る目をますます細くしていく。その雰囲気が居た堪れないのか、アーロンは二人の前に現れたラルスの首にいきなり太い腕を巻きつけると手荒く歓迎し始めた。

「旦那!! ご無事で何よりです!! いやーほんとしんぱいしてましたよー(棒)」

「い、イテテ!! ちょ、マジ痛いって!! カクさん!! あ、あれ? 君は……」

 ラルスは自分に注がれているフェイトの怪しむような視線に気がつくと、アーロンとフェイトの顔を交互に見比べていた。

「あ、あのさ…… ひょっとして…… 僕ってお邪魔だったりする?」

「まさか…… 旦那にしては珍しくグッジョブでしたよ……」

 それは偽らざるアーロンの本音だった。訝しそうに二人を見詰めるフェイトの方を見るとアーロンは片目を瞑ってわざとらしく笑う。

「ま、役者も揃ったことだし、一先ずほとぼりが冷めるまでここで過ごすとしますか!」

 どうやら本来の自分のペースを取り戻したようだった。

 森の中に入ったフェイトたちはまるで天を突く巨人の脚の様に林立する巨木の列に一瞬言葉を失う。上を見上げても全く何も見えない。

「何というか…… 想像以上に凄いところだね…… ここ……」

口をぽかんと開けて辺りを見回していたラルスが呟くと、アーロンがそれに続く。

「手ごろな大きさのやつを適当に切り倒した跡が入り口近くに幾つかありましたけどね…… それもすぐになくなっちまったところを見ると、人の手はまったくと言っていいほど入ってないでしょうな…… こりゃ、奥の方はとんでもないことになってやがるぜ…… きっと……」

 太陽が地平線の向こうに沈んだ今となっては木々の間を行く三人はまさに手探りの状態で歩くしかなかった。

「そうだ…… ねえ、ところでガウバールさんは…… き、きゃあ!! 」

 3人の先頭を切るように一番前を歩いていたフェイトが足を不意に止めると、その後ろをゾロゾロと付いて歩いていた男二人はそのままフェイトの背中にぶつかってきた。

「うわっ! ちょ、おま! 明かりがねえ時に急に止まんじゃねーよ! バカなの? 死ぬの?」

「な、何言ってんの!! 何で二人とも私の後を付いて来てきてるのよ!!」

「し、仕方がねえだろうが!! お前があんま自信満々に歩くから道を知ってるのかと思ったんじゃねえか!!」

「つか…… 道も何も…… 森に入ったばっかなのにそれっぽいものが何もないんだけどね……」

 一番後ろを歩いていたラルスは筋骨逞しいアーロンの背中で強打した鼻をさすりながらぼそっと呟く。3人は滑稽なほどお互いが距離を詰めて歩いていた。

「と、とにかく! ガウバールさんはどこって聞いてるんだ!」

 フェイトは頬赤らめて、いや、正確に記すならば暗闇で顔色など分からない状態でアーロンに声だけで噛み付いていた。フェイトの言葉にアーロンはポンと両手を打つ。

「おっといけね! 色々ありすぎてすっかり親父のことを忘れてたぜ! ははは! 安心しな! 親父ならほらっ! 森に入ってすぐそこの…… 木の…… 根元…… に…… だな……」

 全員の視線がアーロンの指し示す方向に集まる。ようやく暗闇に目が慣れてきた3人の目には、大人30人が手を繋いでも一周できるかどうかという巨大な幹の輪郭がなんとか視認出来ていた。

「何もないよ? カクさん」

「あの場所がどうかしたのか?」

 ラルスとフェイトが不思議そうに呟く。アーロンが言うその根元とやらには落ち葉が分厚く積もっているだけで人影どころか、それと見紛う何物も見当たらなかった。

「ふざけてないで、どこにガウバールさんがいるのか、早く教え……」

 自分のすぐ後ろに立っているアーロンの方をふと見上げたフェイトは、どんな窮地に立たされても物怖じしなかった大男が額に脂汗を滲ませていることに気がつく。

「ちょっと…… 聞いてるの?」

「……」

どすっ、という鈍い音がする。アーロンのわき腹にフェイトは思いっきり肘鉄を入れていた。

「思いっきり目が泳いでいるんだけど……」

「えっ? そ、そうかあ? ははは…… そりゃ泳ぐだろ! 海には目玉のでっかい魚もいるくらいだしな!」

「いや、カクさん…… その理屈はおかしい…… 」

ラルスとフェイトはアーロンに白い目を向ける。

「ひょっとしてカクさん、今、超焦ってない?」

「そうね…… 何というか、とっても動揺しているように見える……」

「な、何を言ってるんだい? 二人とも…… そんな訳…… ない…… じゃん……」

 そう、今、彼は明らかに動揺していた。それはまるで悪戯を親に見つかった子供が一生懸命、悪い頭で言い訳を必死に考えている姿にそっくりだった。

「え…… その…… あ、そうだ! 親父はきっと元気になって旅立ったんだ! うん! そうだ!そうに決まってる! 」

ゆっくり考えた結果がこれかよ…… フェイトとラルスは額に手を当てていた。

「じゃあ…… 百歩譲って聞くけど…… 元気になったガウバールさんは一体どこに旅立ったと?」

ため息混じりにフェイトが質した。

「え、えーと…… 星……? 何ちゃって……」

「余計ダメじゃん…… それ……」

 ラルスが右手で額を押えるのとほぼ同時にフェイトはアーロンの向う脛辺りを思いっきりブーツのつま先で蹴り上げていた。

「いってええ!! ちょ、おま!! それはさすがに痛てえだろ!! ふざけんなよ!!」

「ふざけてるのはどっちだ!! バカ!!」

 脛を抱えていたアーロンの上着の襟をフェイトは掴むと彼の顔を引き寄せていた。自分の間近に迫ったフェイトの顔を見たアーロンは左目に僅かに光るものを認めて目を丸くする。

「え、えっと…… すまん…… マジで親父が消えるとか思わなかったんだ…… さすがは人食いの森だな……」

「人食いの森って…… 本当の話なの? カクさん」

少し離れて見ていたラルスが二人のやり取りの中に割って入ってくる。

「いや、俺もよくは知らねえんですがね…… この森には昔から“神隠し”の伝説があるんですよ……」

「へえ…… 神隠しねえ…… そんなことが本当に…… ん? 」

 音もなく三人の目の前にひらひらと一片の羽根が落ちてくる。ラルスは大人の足よりも大きいその黒い羽根をゆっくりと拾い上げる。真っ黒な羽根には違いなかったがその周囲はボウッと燐光のような淡い光に包まれていた。

「黒い…… 羽根だ…… でも、こんなに大きいのは初めて見たなあ……」

ラルスの呟きとほとんど同じタイミングでどこからともなく若い男の声が聞こえてくる。

「探し物はこの先の“こぶし岩”の上に寝かせてある…… 狼どもに食い散らかされる前に見つけてやることだな……」

 3人以外のその声にフェイトたちは反射的に互いに背中合わせになると、辺りに注意深く目を走らせる。眩暈がするような闇の中で全く何も見えてこない。

相手にはこちらの姿が筒抜けだ…… こんなところを襲われたらひとたまりもない……

「誰だ!! 姿を見せろ!!」

 フェイトが叫ぶと、まるでそれに応えるかのように少し離れた場所に大きな黒い影が音もなく降り立つ。その影の周りをまるで木の葉のように無数の黒い羽根がひらひらと漂っていた。

「やれやれ…… 今日は分からないことだらけだぜ……」

 影を睨みつけるアーロンがナイフを構えながら呟く。漆黒の服に漆黒のマント、いや羽根が集まってマントになっているというべきか、そこにはアーロンとほとんど変わらない背丈の黒髪の男が立っていた。凛々しく結ばれた薄い唇に切れ長の細い目をした色白のその男は、口に咥えている細長い葉巻(※1)に長い指をおもむろに近づける。たちまち、ポッと僅かな明かりが灯ると葉巻の先に火がついていた。

な、なんなんだ…… こいつ……

呆気に取られる3人を尻目に、黒ずくめの男は銀色の煙を悠々とくゆらせる。

「ったく…… 涙を浮かべるほど大事な仲間なら底なしの沼の上に最初から放り込むな…… 沈みかけてたヤツを引き揚げてやったんだ…… 感謝くらいはしてもいいんじゃないのか?」

忌々しそうにその男は言うと舌に残った小さな煙草の欠片を地面に吐く。

「底なしの…… 沼……?」

フェイトたちは思わず互いの顔を見合わせていた。その様子を見た黒ずくめの男はお手上げとばかりに首をすくめる。武器を抜いて身構えるアーロンとラルスの方にちらっと目を走らせた後、その黒ずくめの男はフェイトの方に向き直る。目が合ったフェイトはハッと僅かに身構えた。

一体…… すぐに姿を見せるということは少なくとも敵ってわけではなさそうだけど……

「そんなに意外かい? あんたが姿を見せろと言ったからその通りにしたまでだぜ? お嬢…… 」

お、お嬢……!?

「お、お前は…… 何者なんだ……」

 フェイトには目の前の黒尽くめの男が一体誰なのか、皆目検討も付かなかった。だが、何故か初対面という気がしなかった。葉巻の灰を落とすとその男は煙と一緒に小さくため息を付く。

「何者、か…… 問われるなら答えよう…… 俺の名はレイヴン…… 人の世では俺のことを“闇の番人”と呼ぶそうだ……」

レイヴン…… 自分のことを大鴉(レイヴン)と名乗るその不思議な男は鋭い視線をフェイトに向けていた。
 

 
少しだけ話を戻そう。
 
 大人二人が横に並ぶと少し窮屈に感じるほどのあぜ道を、松明の明かりを頼りにしながらフランツを先頭にした騎兵が一列になって二人のあとを猛追していた。二人とは長い金髪を靡かせながら走っているフェイトともう一人、カーク・アーロンことワイズ・ドラクレス、である。

「ドラクレスめ…… ここで遭ったのが貴様の運のつきだ…… 貴様を必ず王都の刑場に送ってやるぞ!! どけどけどけい!! 蹴り殺されたくなくば道を開けろ!!」

 あぜ道を占拠していたガルフストールの衛士たちはフランツに一喝されてたちまち左右に散っていく。

「あいつら…… こんな狭い道を馬で…… 怖くねえのかよ…… 」

「国軍騎兵はマジキチ揃いだとは噂で聞いてたが…… まじで狂ってやがるぜ……」

 みるみる遠ざかっていくフランツたちの後姿を見ながら衛士たちは半ば呆れたように囁き合っていた。
並みの騎兵ならばすぐ横を流れる水路への滑落(かつらく)を恐れるあまり、馬を乗り入れること自体を躊躇(ためら)うような狭さだったが、他ならぬ彼らは前戦役で東の強国ロメリアを相手に数々の武勲に輝いた、かつての王立騎兵連隊に所属していた猛者たちだった。馬を励まし、巧みに累々と横たわる衛士たちを飛び越えながらグングンとフェイトたちとの距離を詰めて行く。肉眼でまだ視認出来ない。漆黒の森まであと僅かの距離を残すのみだった。立ちはだかるような圧倒的存在感が無言の圧力をフランツに加えていた。

「ちっ…… あの森に入られると相当厄介だな……」

 無意識のうちに手綱を握る手に力が篭る。

我が(ミラン)大騎(グラフェ)(ルリース)殿!! 正面に見えるのがこの辺りで有名な“人食いの森”です!!」

フランツのすぐ後ろで葦毛を駆る若い士官の言葉にフランツは一瞬、怪訝(けげん)な顔つきをした。

「人食いの森? 卿は何か知っているのか? エーネルス」

「はっ! 我が中隊がチュルスに着いた折に小官が付近の地勢を調査したのですが、その時に聞いた話です。 大騎長殿。 この近くに住む農家によると、なんでも昔から人を取って食う魔物が棲む呪われた森だとか何とかで…… 過去にもう何人も神隠しにあっていて、地元の人間では熟練の猟師か木こりくらいしか訪れない場所だそうです」

「ほう…… 人を取って食う魔物が棲む森、か…… なるほどな…… おい! エーネルス! 卿が王都に赴くことがあればその話をサロンでするとモテるぞ。 機会があれば試してみろ」

「えっ! そ、それは本当ですか!! 我が(ミラン)大騎(グラフェ)(ルリース)殿!!」

 列の中で一番若輩のその士官はパッと目を輝かせる。均整の取れた甘いマスクを武器にかつて王都で派手に浮名を流したフランツのことを中隊で知らない者はいなかった。

「ああ、元“決闘屋”の俺が言うんだから間違いない。 特に白馬の王子様を待って待って待ちくたびれた元ご令嬢からは間違いなく大受けだ」

「え…… 待ちに待った…… は、はあ…… 参考にさせて頂きます……」

 まるで青菜に塩のエーネルスの様子を見た列から大きな笑い声が上がったその時だった。夏の薄闇を切り裂く三斉の銃声が鳴り響く。たちまち彼らの乗馬の何頭かが後ろ足立ちになり、列の馬脚が乱れる。

「マスケーーーット!! 全員備え!! 近いぞ!! 」

 古参の騎兵が叫ぶ。

「どーう!! どう!! どう!! 落ち着け!! よーしよし!! いい子だ!! どーう!! どう!!」

 瞬時に馬を落ち着かせた彼らは追撃の足を止めると鞍の横に備えていた片手槍を抜いて注意深く周囲に目を走らせる。

「どうやら敵ではなさそうですな…… 我が(ミラン)大騎(グラフェ)(ルリース)殿……」

「ああ…… 銃声は3つ…… 響き方からして長銃の類だ…… ほぼ郡司の手の者と考えて間違いあるまいが…… 如何せん、この暗さではな……」

 辺りは漆黒の闇だった。的になる事を恐れた彼らは全員が咄嗟の判断で松明を横の水路に投げ捨ててしまっていた。

「とは言うものの、この場に下手に留まるのもマヌケだ。 目が闇に慣れ次第、下馬して進むしかあるまい。 グエンダス、お前はこの中で一番夜目が効く。 急いで中隊に合流してレノアにいる大隊全員を動員する準備をしろ」

「大隊の総動員、でございますか?」

フランツの隣にいた頬に大きな傷を持つその古参兵はじっと彼らの敬愛する司令官の顔を見詰める。二人は親子ほどに歳が離れていた。

「そうだ。 軽く追いつけると思っていたが、こうして完全に足が止まってしまえばもう奴らは森の中。 拠点制圧は騎兵(おれたち)には無理だ。 足で狩り出すしかあるまい。 これは完全な俺の初動ミスだ…… すまん」

我が(ミラン)大騎(グラフェ)(ルリース)殿…… お任せくだされ…… 取り急ぎ夜間歩哨の準備をさせましょう」

 率直に反省の弁を述べるフランツにグエンダスは深々と頭を垂れていた。重苦しい雰囲気が4騎を包み始めたその時だった。まだ二十歳にも手が届いていないエーネルスは唇を噛み締めると、突然、何かに取り憑かれたように単騎で駆け出す。

「待て! エーネルス! どこへ行く!」

「このエーネルス! 賊を見事御前に引き立ててご覧に入れます! 我が(ミラン)大騎(グラフェ)(ルリース)殿!」

大人たちの制止も聞かずまだあどけない声を残してエーネルスは疾風のように森を目指していた。

「バカもの!! 勝手なことをするな!! 取って返せ!! 少尉!! 聞こえんのか!! ちぃっ!! 世話の焼ける奴だ!! グエンダス!! この場は任せたぞ!!」

フランツは愛馬の横腹を蹴ると森の中に飛び込んでいく若者の後を追う。血気に逸る紅顔の少年騎兵は巨木の間に広がる闇に全く臆することがなかった。むしろ後に続くフランツの方が気後れするほどそこには完全なる闇が横たわっていた。

この雰囲気…… いかん…… 早く止めねば大変な事になる……  

砲弾が雨あられのように降り注ぐ死地を何度も潜り抜けてきた彼だったが、いやだからこそである、直感的に尋常ならざる危険を察知していた。

「少尉!! どこだ!! 少尉!! 聞こえんのか!!」

片手槍を手に猛然と闇の中を駆けるフランツだったが前を行くはずのエーネルス少年の姿を完全に見失ってしまった。

そういえばアイツ…… 地勢検分に出たことがあるとか何とか言っていたな…… バカモノめが!! 慢心しおって!!

その時だった。短い叫び声と馬の悲鳴が遠くから聞こえてくる。

「うわああ!!!」

「エーネルス!!」

フランツの声は闇の中に吸い込まれ、こだますら帰ってこない。辺りは再び静寂を取り戻していた。

「エーネルス!!」

声のした方向に馬首を巡らせた彼だったが幼い部下の姿はどこにも見当たらなかった。

確かこの辺りで声がしたと思ったが…… 

「ん……?」

ふと見ると漆黒の闇の中を漂う小さく瞬く星のような光がぽつぽつとあることにフランツは気がつく。

「な、なんだ…… あの光は……」

 鼓動が早くなる。静かに下馬すると彼は乗馬をその場に残してジリジリと光の方に向って慎重に歩を進めた。片手槍を握る手に汗が滲む。突然、何の前触れもなくフランツの目の前が急に光り始める。

「うっ! く、くそっ!」

 反射的に光を払いのけた彼は手に残った感触でその正体にやっと気がつく。蛍だった。そしてその僅かな光の下で照らし出される地面を見たフランツはハッとする。彼が追っていた声の主が残したと思われる蹄鉄の跡は蛍が飛び交う少し先の部分でぷっつりと途絶えていた。

どういうことだ……

 フランツは首を傾げる。辺りには幾重にも折り重なった落ち葉が絨毯のように広がるのみで全く水場らしき場所は見当たらなかった。闇の中を飛び交う無数の蛍、そして蛍は幼虫の間を水中で過ごし、肉食であることが知られている。これらがフランツに無言の内に何かを語りかけていた。

「人食いの森、か……」

彼の脳裏には少年の残した言葉が蘇っていた。


第四話 完

※1 因みに実際の世界における”煙草”は、中世から近世にかけて葉巻ではなく、匂いをかぐ”嗅ぎ煙草”が主流だった。それがやがて”クレーパイプ”となり、葉巻、紙巻煙草、と変遷していって現在に至る。
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